島外から観光客さんが来られると、必ずと言っていいほどご案内するコースの一つに
隠岐の島町下西地区に位置する、玉若酢命神社(たまわかすのみことじんじゃ)と境内に
ある樹齢1000年以上と伝えられる八百杉(やおすぎ)
神社の宮司、億伎家(おきけ)住宅・・・(外から見学)
億伎家に隣接する宝物館に展示してある、
①隠岐國駅鈴、
②光格天皇から億伎家へいただいた唐櫃(からひつ)
③億伎倉印
などがあります。
駅鈴(金、銀、鈴、鉛の合金で出来ている手作りの鈴)っていうのは、
奈良時代、地方から都へ公用があって旅に出る役人が、役人としての身分を
証明するために、交通手形としての駅鈴をあずかって出発したそうです。
※昔の葉書に駅鈴の印刷があったと思います。
役人さんの交通手段は馬なんですね^^
馬に乗って役人が、田舎を出発します。
馬も長時間歩くうちには空腹にも、喉が乾く状態にもなり疲労もしますね・・。
そこで、馬を休める目的で
何里かごとに駅を作りました。
馬が喉を潤すことができるような環境に駅を作ります。
つまり沢がなくてはなりません。
そうした事から駅と言う漢字が出来たとも言われています。
駅鈴は、とても澄んだ音色です・:*:・(*´∀`*)ウットリ・:*:・
現代の駅のルーツなんですね^^
隠岐の國の駅鈴は隠岐の島の国造(くにのみやつこ)として隠岐へ渡ってきた
億伎家が所有しています。今から1500年以上前から続いており現在は48代目の当主が後を継いでいます。
↑
これが億伎家住宅です。正面に向かい入り口が3つ付けられているのが特徴です。
昔は訪れる人の身分の相違で入り口が厳重に分けられていました。
この億伎家の庭先に桜の古木がありますが、私は昔から、この桜を見ると、春が来たな~と
感じてきました。
この桜を見ると自分の生命力が活性化されるような気持ちです。
だ~い好き^^♪
隠岐の島の桜は、満開状態が継続中。数日らいの寒さが桜を長持ちさせているようですね^^
隠岐倉印は、昔の政府の倉の印です。
これは国内に3つ残されています。
駿河の印、但馬の印、隠岐の印です。
次回の記事は
お隣の神社のお話しを書く予定です。
オヤスミ――(o・ω・o)ゝ――ン
2015-04-09 23:48
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コメント(4)
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隠岐の島のこと、他の由来を 淡々と語られるhiro-kanさんに敬服です。
由緒ある隠岐家は48代目ですか………数々の歴史の宝庫ですね。
by cooper (2015-04-10 09:36)
ほんとだー、この桜power感じます!(^^)!
駅の漢字、馬好きのツレに教えてあげようっと
勉強になりました。
by mitu (2015-04-10 10:41)
cooperさんこんばんわ^^
隠岐の島が好きなんです(^^)
年齢を重ねるごとに益々・・・
江戸時代までは多くの流人が流され
また高貴な都人が配流された島でもあり
役人として任命を受けて隠岐に在住された人々
閉ざされた島ではなく、人の交流が多かった過去と現在
面白い島&魅力的な島だと思います┬|´ω`*)。oO(ヤッタ♪)
by hiro-kan (2015-04-10 22:48)
mituさんこんばんわ^^
パワーを感じて貰えて嬉しいです。
旧字は驛 うまや・・とも呼んでいたと思います。
律令制で,中央と地方との連絡のため
街道筋の30里(約16キロメートル)ごとに置かれた設備。
馬・人夫をそろえ旅人の便をはかった。
自分の国元を馬で旅立ち、乗って出た馬が疲れたら
驛に到着ご、人夫さん、新しい馬を調達できたようです。
そこで駅鈴が必要だったんですね~^^
この駅鈴が目に入らぬか~??(笑)
by hiro-kan (2015-04-10 23:01)